鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒ある山鉾で「くじとらず」の大きな曳山でした。御神体は鷹匠・犬飼・樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。
鷹山も他の山鉾と同じく幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきました。そして鷹山は他と競いあうようにして豪華になり、江戸時代後期には黒漆塗で破風裏は金という華麗な屋根を持つ曳山になりました。
ところが文政9(1826)年の巡行で大雨にあい、懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。それから現在まで約190年間、御神体をお飾りする居祭を三条通室町西入の町家等で続けてきました。
近年、復興の気運が高まり、2014年に鷹山囃子方、2015年に一般財団法人鷹山保存会を設立いたしました。そして2016年に公益財団法人の認定を頂きました。そして2022年、鷹山は巡行に復帰することができました。
現在「祇園祭山鉾連合会」のホームページにて鷹山復興のための基本設計案(PDF)が[こちらのページ]から閲覧できます。
「鷹山の歩み」が読みやすくなりました。
鷹山の詳細につきましては、衣棚町の隣の神明町に
お住まいだった歴史研究家廣田長三郎氏(2015年に95歳で没)が、
93歳で執筆された「鷹山の歩み」をPDFにて[こちら]からご覧になれます。